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るので、神を和め、神に祈る一連の行事が行われるようになった。昔日のロウの者たちは日常生活の場で災難に遺ってもこれを除き得る方法がなく、人々が病いにかかり、作物が被害に遭うとそれを支配している神の仕業とみなし、ただ当該神に祈るしかなかった。祖先神を祀り(各家では香炉に線書を立て。古歌を歌い、ドラ踊りを踊って厄払いをして)、土地神を祀り(田のほとりに小さい祭壇棚を作って線香を灯し、酒は供える)、家畜神を祀った(家蓄小屋の入口に線香を插す)、風雨順調を祈り、牛の引き倒し行事を行う。諸神を祀るにあたってそれぞれドラ踊り儀礼を行い、代々このように繰り返してそれが習俗として定着した。
三番目に人を慰め、神を和める儀礼の中の演劇的要素についてである。ドラ踊り全体の内容は十二段に分かれ、十二段それぞれの内容はいずれも生業の生活労働習俗を表現した祭祀模擬舞踊を主としている。そこで表現される舞踊には、草をすだれ状に巻き込む、ソバを刈り取って並べることがある。太古の人人の労働作業を反映し、古代人の収穫、紡織場面を再現している。詰び目ほどき、縄引き、鉄の鎖ほどき、追い込み狩猟、火を取り囲むことなどはロウの者たちの太古の狩猟生活の表現である。舞踊全体は農耕生産習俗と関わりがあり、、いずれもその仕事の内容を主として表現している。したがってドラ踊りは当時のニス・ロウの者たちの全ての生産労働の内容を包含しており、今日にそれを立体的に表現してくれる当該民族の教科書としての役割を持っている。

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ドラ踊りの最中、出現する男女の唖巴神。祖先神として祀られている。

 

広義の演劇は生産労働の中から生まれ、生産労働、遊戯、祭祀などを含む。それは人間の願望、感情に応じて生み出された表現形式であり、行動である。このような願望感情は原始人の間に存在していて、それが絶えず発展を続けて豊富なものとなった。当時の人々の自然認識には限界があり、願望感情は祭祀として祈る形で表現することしかできなかった。そして当時のニス・ロウの者たちはその祈りをドラ踊りとして表現したわけである。このドラ踊りに追儺劇の要素を見い出すことはむずかしい。即ちそれは、踊、祭祀が詰合されて、当該民族の習俗と当時の彼らの宇宙観、生活認識、信仰、火の神崇拝が用いられた。彼らの習俗によって火の神(喜鵲鳥神)を迎え、その来臨を得て神に祈り、また神を和めた。そのようなものであったのである。千行余りの生活の百科全書といえる古歌を歌い、ドラを叩きながら踊り、タイマツを振りまわして生産活動や生活習俗を表現し、そして牛の引き国し行事を行って人々の娯楽とし、また神を和めたのである。
仮面を付けたものは踊りの中で、その動作や中味について何ら規制を受けないが、踊り手にとってはドラの絡み方、タイマツの振りまわし方に規定の様式があり、一人一人が踊り全体の中の一部を権成している。面をかぶったものは勝手に動きまわり、そのようにわがままにふりまっても周りの者たちは誰もとがめず、ただ彼らは神であり、祖先の化身であると納得している。ドラ踊りの面を付けたもの以外の多くは、簣鶏鳥、白閑鳥(シラキ

 

 

 

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